2012年5月24日木曜日

No.145 5月24日 BOY七十四(修正版)

1920年(大正9年)3月15日、その後の日本経済そして横浜経済の潮目となった日本初の戦後恐慌が襲います。
第一次世界大戦の好景気から生じた投機熱が冷めず、過剰生産による大暴落が起りました。
特に戦時中好景気の代表だった綿糸、生糸相場は半分以下に下落し関連金融機関は休業破綻に陥りました。地方の小銀行21社が大きな影響を受け、破綻・合併の道を辿ります。

大手生糸商三代目茂木惣兵衛の経営する茂木商店が倒産し
有力銀行の中では、横浜の第七十四銀行が5月24日の今日連鎖倒産しました。

茂木惣兵衛の邸宅のあった野毛山公園
この戦後恐慌を経営者達はどう乗り切ったか?
堅実経営で安定した原点回帰の経営者達が最終的に生き残っていくことになります。
中でも三井財閥、三菱財閥、住友財閥、安田財閥など財閥系企業や紡績会社大手はこの危機を乗り越えることで寡占化が加速し強固な財閥体制が構築されていきます。
横浜経済界も、地場の資本が大手に切り崩されていきます。
しかも
この後に訪れる関東大震災のダメージが「横浜没落」を加速させます。
東京政府にとって、お荷物になりかけていた横浜不要論が頭をもたげるようになります。それは金融機関に対しても同じことでした。

(銀行淘汰の時代)
少し時間を遡ります。
明治の近代制度導入の中で、銀行制度は日本経済の根幹を支える重要な改革でした。
1872年(明治5年)の国立銀行条例に基づいて全国に国立銀行が設立されます。
その数135に及びます。時の代表的経済人渋沢栄一は、銀行名を第一から第百三十五まで割り振ったといいます。
横浜には第二銀行と第七十四銀行が設立されました。
因みに
「第一銀行」は帝国銀行→第一銀行→第一勧業銀行→みずほ銀行
「第三銀行」は保善銀行→安田、富士銀行を経てみずほ銀行
「三十四銀行」は1933年に鴻池銀行、山口銀行と合併し三つの和で三和銀行になりその後東京三菱UFJ銀行となります。
といった具合に 生き残りのための合従連衡を繰り返します。
中には六十三銀行と十九銀行が合併し八十二銀行(63+19=82)と命名した銀行もあります。(たまたま初期の八十二銀行が無くなっていたためにできた名前です)

(横浜と群馬を結ぶシルクロード)
国立銀行条例のもと、
1878年(明治11年)7月に設立された第七十四国立銀行(後の七十四銀行)は、生糸を通して横浜と群馬経済を繋ぐ重要な金融機関として育っていきました。
明治初期の七十四銀行は、為替機関である第二銀行と異なる事業を展開しますが、
高島遊廓の移転に関する土地投資に失敗し、
また松方デフレによる金融引締めで危機的状況に陥ります。
1882年(明治15年)に既に自ら茂木銀行を興していた(初代)茂木惣兵衛が頭取になり七十四銀行の改革を断行します。
茂木は、優秀な金融マン旧大村藩士の森謙吾を支配人兼取締役に抜擢します。
森謙吾は茂木合名会社を総合商社化します。さらに七十四銀行と茂木銀行を合併し横浜を代表する銀行家として飛躍の道筋を描きますが、悲劇の恐慌が訪れます。

(横浜の悲劇)
1920年(大正9年)5月24日、横浜の七十四銀行と関連の深い横浜貯蓄銀行が突如3週間の休業を発表します。
理由は戦争恐慌による冒頭の茂木商店倒産による貸付金の焦げ付きでした。
その後も再開のめどが立たず休業状態が続きます。
第七十四銀行と横浜貯蓄銀行が破綻という未曾有の難局に直面した横浜経済界は、原富太郎らが中心となって七十四銀行の整理に乗り出します。
破綻銀行の受皿として預金者保護にあたるため
1920年(大正9年)12月16日に「横浜興信銀行」を設立します。
この「横浜興信銀行」設立までの物語は想像を絶する道程でした。55,000口の預金者、400人の債権者全員から承諾書を取り付け、市・県を説得し国との熾烈な交渉を重ね公的資金調達に成功します。(現在のように簡単ではなかったと思います)
この「横浜興信銀行」設立に奔走した原富太郎、渡辺福三郎、若尾幾造、井坂孝の4人の物語はもっと横浜人が知っておく必要があるでしょう。

(最も歴史の長い銀行)
1927年(昭和2年)には左右田銀行を吸収し、全国で唯一生き残った「横浜為替会社」(第二銀行)と1928年(昭和3年)に合併します。
さらに神奈川県内の6行を吸収し、神奈川県に本店を置く唯一の普通銀行として戦時経済を過ごします。
戦後になり
1957年(昭和32年)「横浜興信銀行」は「横浜銀行」に名称変更し現在に至ります。

世界最大の地銀、横浜銀行は「わが国最初の近代的金融機関である為替会社を祖先にもつ唯一の銀行」であり「日本で最も歴史の長い銀行」といわれています。
※「為替会社」とは「BANK(銀行)」の訳語として命名されました。全国に8社(東京、横浜、京都、大阪、神戸、大津、新潟、敦賀)設立され近代銀行のはじまりと言われましたが、横浜為替会社のみ生き残りました。
旧浜銀を保全するために移動しているところです。
横浜銀行 Bank of Yokohama=BOY
http://www.boy.co.jp/

0 件のコメント:

コメントを投稿