2012年4月12日木曜日

No.103 4月12日 「新港埠頭保税倉庫」から「赤レンガ」へ

横浜コンテンツの代表格となった赤レンガ倉庫一帯は、
竣工から90年を経た2002年(平成14年)の今日、内部改修工事を完成させ新たな観光文化商業施設として生まれ変わりました。

今日は「赤レンガパーク」完成前史を簡単に紹介しましょう。
赤レンガ倉は単に歴史ある建造物だけではありません。
元々「新港埠頭保税倉庫」として貿易港横浜を支えた重要な倉庫でした。
現在商業施設となっている2号館が1911年(明治44年)、展示スペース、ホールなどの文化施設となっている1号館が1913年(大正2年)に竣工し大正時代に活躍し戦後は1989年まで細々と使用されていました。
20年前の赤レンガ一帯
現在の赤レンガパーク
(川と蔵)
江戸時代まで物流の中心は船を使った川と近海航行でした。
河口に近い川岸に「蔵」を建て交易の物流拠点としました。

No.433 帷子川物語(1)
http://tadkawakita.blogspot.jp/2013/03/no4331.html

明治に入り、蔵から倉庫に代わります。
その名残が山形県酒田市に山居倉庫として現存し現役で使用されています。
酒田 山居倉庫
(海運と倉庫)
その後、物流は鉄道が主役になり戦後トラック物流が主流になるまで約100年続きます。
外国との貿易に必要な物流手段は「汽船」そして港には「保税倉庫」が必要でした。
日本最大級の国際貿易港となった横浜にも新しい埠頭と保税倉庫が必要となり作られたのが鉄道と直結した「新港埠頭保税倉庫」です。
蔵との大きな違いはスケールの大きさと鉄道貨物が倉庫に横付けできる「高床」倉庫であることです。最先端技術も導入されました。
「新港埠頭保税倉庫」では1889年にアメリカで開発された電動のエレベータが倉庫に初めて使われました。
「新港埠頭保税倉庫」は別称「赤レンガ倉庫」と呼ばれますが、設計は明治建築界三巨頭の一人である妻木頼黄率いる大蔵省臨時建築部が行い当時一般的に使用されていた煉瓦によって建てられ、関東大震災の被害も最小限に留まり直ぐに使用できたそうです。
現在、建築物の素材と言えばコンクリートですが、日本で最初にコンクリートが使われたのは土木の世界で1890年に横浜港の岸壁工事です。
建築建造物での使用はもう少し後になります。

(トラックの時代)
戦後、自動車の時代になります。高速道路網の整備と相まってトラックによる物流の時代になります。
また、貨物のコンテナ化の進展も従来の倉庫業の衰退の原因となります。


赤レンガ倉庫から出るトラック(1990年頃)追伸:たまたま私が撮った失敗ネガにあったもの
港湾倉庫は高層化しさらに巨大化します。
現在日本最大のトラック用の物流倉庫は1996年に完成した
「横浜港流通センター」で、地上5階のべ床面積32万平米の規模にまで大きくなっています。45フィートコンテナトレーラーが上の階まで自在に乗り入れできるランプウェイを持っています。
横浜港流通センター
話しが逸れましたが、「新港埠頭保税倉庫」別称「赤レンガ倉庫」は横浜の産業遺産であると同時に、歴史の生き証人でもあります。
また、ウォーターフロントの快適なスペースとして、ショッピングやイベントを楽しむことができます。大切に末永く活かしたい空間です。


(追加)

2002年のオープンパンフが見つかりました。

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