2012年2月4日土曜日

No.35 2月4日 秋元不死男逮捕、山手警察に勾留

横浜市内には現在21警察署があり
一覧では必ず
加賀町、山手、磯子、金沢、南、伊勢佐木、戸部と続きます。
警察署にも順番というか序列があるようです。
1941年(昭和16年)のこの日、山手警察に「昭和の俳諧師」秋元不死男(当時39歳)が逮捕、留置されます。
大桟橋埠頭ビルにある句碑
秋元不死男は1901年11月3日横浜生まれの俳人です。
生糸関係の大手海上保険会社、横浜海上火災保険に入社します。
その時職場の同僚となった俳人嶋田的浦と知り合い、俳諧の世界に入ります。リアリズムを指向する俳句や川柳に対する弾圧が強くなる中、「京大俳句会」事件が起ります。
機関紙「京大俳句」を中心に「戦争俳句」を発表したメンバーが治安維持法により検挙されます。「新興俳句弾圧事件」です。
この事件を糸口に新興俳句運動参加者も逮捕されていきます。
急進的リアリズムな句を詠む秋元不死男もその一人として山手警察署に逮捕、半年後東京拘置所に移され二年間勾留されました。
この戦中の思いをベースに
戦争も終わった昭和25年に刊行された第二句集『瘤』の冒頭には
「昭和十六年二月四日未明、俳句事件にて検挙され、横浜山手警察署に留置される。二句」と書かれています。

○ 降る雪に胸飾られて捕へらる
○ 捕へられ傘もささずよ眼に入る雪

戦後 彼もまた戦後の俳句を引っ張った飯田龍太(飯田蛇笏(武治)の四男)をして「昭和の俳諧師」と称せられました。

■ カチカチと義足の歩幅八・一五
■ へろへろとワンタンすするクリスマス
■ ライターの火のポポポポと滝涸るる
オノマトペ(擬声語・擬態語など)の不死男といわれるほどリズム感のある句を残しています。
■ 鳥わたるこきこきこきと缶切れば
「その頃、横浜の根岸に棲んでいた。駐留軍が前の海を埋めて飛行場をこしらえた。風景が一変すると私の身の上も一変した。俳句事件で負うた戦前の罪名は無くなり、つき纏うていた黒い影も消えた。たまたま入手した缶詰を切っていると、渡り鳥が窓の向こうの海からやってきた。この句、初めて賞めてくれたのが神戸にいた三鬼だった。以来私を『こきこき亭京三』と呼んだりした。(私が東京三の筆名を捨てたのは、それから間もなくだった。)天下晴れて俳句が作れるようになった私たちは、東西に別れて懸命に俳句を作った。敗戦のまだ生なましい風景の中で、私は解放された明るさを噛みしめながら、渡り鳥を見上げ、こきこきこきと缶を切った。」と残しています。
昭和52年7月25日
「ねたきりのわがつかみたし銀河の尾」の絶句を遺して、75年の生涯を閉じます。
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2013 横浜わが街シリーズは
2014年〜
下記にて移行継続中です。


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