2011年12月20日火曜日

道端で感じる 「孤路食」

「孤食(こしょく)とは一人で食事を取ることである。特に食事の際に孤独を感じてしまう「寂しい食事」のことである。」

最近「孤路食」(造語)の若者を街中で見かける。比率は女性の方が多い。時には小中学生年代を見かける。
通勤シーンで駅のプラットホーム、車内でサンドイッチやおにぎりを食べる光景は珍しくなくなった。特に女性が車内で「コンビニおにぎり」を食べるシーンは90年代
には殆ど無かった。この光景に関して特に異論は無い。個人的には「化粧」はどうも気に入らないが、空腹をホッておくことを考えれば自衛策としてアリだ。
時には微笑ましさも感じる。自分も経験アリだ。
ところが、最近「孤路食」一人で路ばたで喰う若年の姿が増えた。
往来の多い路や、コンコースの路影で隠れるように(でもよく見える)おにぎりやサンドイッチを食べる姿を見かけるようになった。駅などの地下通路にある柱の横で(ベンチが開いているのに)食う姿。夕暮れのコンビニの近くの電柱の影で「食う」姿。体は見えるが 頭部は柱の影になるようなちょっと腰折れのような姿勢は 自分が気がついた瞬間ドキッとする。もっとましな食事空間があるだろうと思った。なんで今この場所で とも感じた。今年はどこも節電照明のため全体に暗い。人が(女性が)一人柱の影ですこし前のめりの姿を想像して欲しい。妖気の世界にすら感じてしまう。
そういえば 通路にベンチが無いことに気がついた。特に地下通路には一休みできる空間が僅かしかないことに気がついた。通路にベンチは「不要」が常識になっている。地下鉄サリン以来ゴミ箱が激減したことは分かるが、長い通路にちょっと腰をおろす空間が無いのは何故だろう。街中にベンチを探すには少しエネルギーを必要とする。おしゃれな「座」ベンチは増えたが 有るところにしか無い。とはいえ、食事空間が全く無くなった訳ではない。この現象は一体何なんだろう。
個食が叫ばれて久しい。15年前、仕事で子供達の個食状況調査を手伝った。家族が全く別のものを食べる食卓。まだ家族があった。今 個食以上に孤食の現実が厳しい。
1971年の厚生白書で「留守家庭児童」という用語が用いられカギっ子の存在が認知された。昭和40年代以降の核家族化の進行が要因とされ40年のときが流れた。
社会の歪みは最初に「若者と高齢者」が受け取り被害者となる。
この光景に慣れそうになっている自分に警鐘を与え、ノーマライゼーション(normalization)を忘れないよう心がけたい。

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